お笑い基地

お笑いをテーマに、漫才やバラエティについてゆったり書いています。

スリムクラブの漫才に憧れる 2


さて、今回もスリムクラブのお漫才について綴っていこうと思う!


前回挙げた「超スローテンポ」に加えて挙げておきたいポイントが、「二人ならでは」と「ツッコまない」である。


「二人ならでは」というのは言葉の通りで、あの漫才はあの二人でしか成立しないように思える。


まずボケの真栄田さん。身長が183cmありラグビーにより作られた大きなからだ、それに加えて唯一無二の声と、なかなか独特な雰囲気を醸し出している。




あの人から変な言葉が出てくることにある種の説得力があるのが、あの漫才の幹になっている。


そして内間さん。内間さんはとても穏やかな性格のようで、そんな好い人が物凄い変なひとに困惑しているという構図がこれ以上なくハマっている。




この内間さんが漫才の最中であまり「ツッコまない」のも大きなポイントなのだ。




もともと日常で変なひとに絡まれた時に人は動揺し、困惑する。鋭いツッコミなどとてもできない。



そこがスリムクラブの漫才においては、内間さんが真栄田さんの発言にあまりツッコまないことでリアリティを生み出している。




長々と話してきたが、要するにスリムクラブの漫才っていいよね……ということが伝えたかったのだ。




それが少しでも分かってくれたらブロガー冥利に尽きる。


それじゃまたこの場所で会おう。

スリムクラブの漫才に憧れる 1


すっかり外も夏模様となり、今まさにお笑いシーズン真っ盛りと言ったところだ。


そこで今日はスリムクラブのお漫才を見ていく。


まず始めにはっきり述べておくが、私はスリムクラブの漫才に憧れるのだ。



彼らの漫才のなにがすばらしいのか。

「超スローテンポ」


これはスリムクラブの漫才を語る上で避けて通れないだろう。

2001年のM-1を見てもらえばわかるが、M-1ではテンポの速い流れるような喋りが王道とされてきた。


しかし彼らの漫才は…………おっっっそい!!


あれは間違いなく革命だ。一般的に章レースでは導入などボケではないところを削り、ボケ数を増やすのが定石だが、スリムクラブの漫才はボケの数で言えば少ないほうなのだ。




しかし1発1発が重すぎる。


例えるなら「ジャブやフェイントを捨て、渾身の右ストレートをガードの上からだろうと」…………訳がわからなくなってきたのでやめる。


逆を言えば長い間で客を待たせ、少ないボケで勝負する。なんとかっこいいスタイルなんだ。




個人的にはM-1の煽りの「一撃必殺」てのがぴったりすぎてたまらん。



また贅肉がつきすぎたので次回へ続く。


次回はスイカバー持参で。

オードリーのANNは素晴らしい 2

今回も引き続きオードリーのラジオについて考えていこうと思うナリ!


かくいう私もヘビーリトルトゥースの一人であり、毎週ラジオにかぶりついて聴いている。



彼らのラジオのなにが良いのか、ここではある一つのポイントを軸に話していこう。


そのポイントとは、あの「部室感」である。
これは本人たちも話していたことだが、彼らのトークには何とも言えない部室感がある。



とてつもなくくだらなくてとてつもなく面白い。




部室での友達同士のやり取りをふと耳にしてしまったような空気感とあの心地よさ。



事実オードリーの二人は同じアメフト部で友達同士だったのだから当然と言えば当然なのだが。




あのラジオでは二人の、テレビとは少し違った姿をみることができる。



若林さんが「通でもないのに、オードリーはラジオだとボケとツッコミが逆だとかぬかすやつが居るんだよな、通でもねぇのに!」


と言っていたことがあるので、とても言いにくいが私は正直に言うとそうだと思うし、それが好きだ。



一人のファンとして言うと、あの関係がふたりの素なのだとも思っている。




近頃はテレビでのオードリーの立場も変わり、ラジオでのやり取りに近い絡みをテレビでも見ることができるようになった。



そうするとリトルトゥース(リスナー)はニンマリなのである。口を揃えて「これこれ!これなのよオードリーは!」と言うのである。


あの「部室感」を、くだらなさを愛しているのだ。


まぁあまり知ったような口を聞くと若林さんにdisられそうなので、今日はこの辺で筆を置こう。



それではまた次回お会いしましょう、アディオス。

オードリーのANNは素晴らしい


皆さんお久しぶりです!今日はオードリーのオールナイトニッポンについて書いていこう。


しっかりついて来いよ、この……着膨れ観光大使




さて今回何が言いたいかと言うと、タイトルの通りです。オードリーのラジオは素晴らしいのだ。




私とオードリーのオールナイトニッポンの出逢いはある夏の昼下がりだった…………




いつもの如く私が暇をもてあまし、まるごとみかんバーを頬張っていたところ、隣の部屋から誰かの話し声が聞こえてきたのだ…………。



そう、それがオードリーのラジオだったのだ。




その時は「ほーん、オードリーってラジオやってたんだ」くらいにしか思わなかったのだが、その夜私は気づくとオードリーのラジオを聴いていた。



まったく末恐ろしい時代だよ……




とまぁアイドリングトークで吹かしすぎたので、本編はまた次回にするとしよう。



また次回っ!!

野性爆弾くーちゃんが売れた理由

今日は野爆のくーちゃんが売れた理由を考えていきたいナリ!



今やテレビで見ない日はないくらい引っ張りだこのくーちゃん。これは少し前からくーちゃんを知っていた人からしたら驚くべき事態かもしれない。




「よしもとの最終兵器」とも言われ、知るひとぞ知るマニアックな存在だったくーちゃん。



はまるひとにはドはまりし芸人さんからは支持されるが、一般の視聴者からは理解されないような芸風で地上波で見ることはまれだった。



それが今や大人気…………!




この変化には実にさまざまな理由があると思う。



インスタグラムの普及、くーちゃん自身の変化等。




しかし、一番大きな理由は視聴者、いわゆる受け手である私達の変化だ。



私達が求める笑いは、多様化しつつも日々変わっていくものである。



最近の私達はマイノリティ的な笑いに手をつけ始めたのではないだろうか。



SNSYouTubeの普及もあってテレビじゃ見なかったようなマニアックな笑いも目にすることが増え、「全ては分からないけどなんとなくハマる」「なんかクセになる」と言うように。




千鳥さんのネタが評価されるようになったのと同様に、私達の中のお笑いの好みが


分かりやすい笑い→少し分かりにくい笑い


と変わってきたのだ。



何も考えずに笑える笑いよりも、受け手が受け取って少し考えるような笑いが好まれるようになった。


お笑いというのは文化・芸術であり他の芸術同様に流れがある。それは提示する側も受け手側も。




そう考えるとまた時間が経つと流れが変わって、分かりやすい芸風の芸人さんが人気になるのかもしれない。




何にせよ筆者自身はくーちゃんが好きなので活躍を続けてほしい。



くーちゃんおもしろいよなぁ…………。



それじゃあまたね!

メイプル超合金のM1で受けた衝撃


2015年のM-1グランプリについて話していくゾヨ。



私はあの大会で一番「勝った」のは間違いなくメイプル超合金だったと思う。


まぁこれはすでに多くの人が話してきたことだろうから詳しくは述べないが、2008年のオードリー同様に優勝者とは別に「勝った」コンビである。



それは今のメイプル二人の活躍が証明しているが、今日は二人が披露したネタを見ていきたい。



2015年大会の決勝戦でトップバッターとして登場した彼らのネタで私は衝撃を受けた。TVの前で「こりゃあ~~もう……」って呟いちゃったもん。


今や数多の漫才師が新たなスタイルを生み出し、誰もやっていないもの、いわゆるブルーオーシャンを見つけることが困難になってきたように感じる。




しかし、あのときメイプルの漫才を見た私はとても納得してしまった。



それはボケの訳わからなさに起因する。
それだけ聞くと何ともないように感じるがあのボケは絶妙である。


私達に耳馴染みがあって笑えないボケと、訳が分からなくて笑えないボケの間の絶妙な温度。




そしてそんな絶妙なボケを乱立させることで「話」としての筋をあえて消している。


非常に細かい話だが、これは「物語」としての漫才を崩した新しい漫才なのではないか。




二人のキャラクター性や安藤なつさんのツッコミなどまだまだ語ることはあるが、それはまた今度。



最後にお笑いに関する仕事をしている知人に聞いたことだが、ボケのカズレーザーさんは売れてからも地下のライブで若手芸人のネタを見て研究を続けるとてもストイックな人なんだとか……!



これからも二人の活躍を楽しみにしながら、Lサイズのじゃがりこと共に夜を明かしたいと思う。

それではまた次回

千鳥の漫才について 3

さて今回は千鳥の漫才についての最終回!



千鳥の漫才を、千鳥の漫才たらしめている要素として最後に挙げるポイントがこれだ。



3.仲良し感


二人の漫才中の掛け合いは、まさに同級生によるじゃれあいのような空気感を持っている。



漫才の最中に自分たちのネタで笑ってしまうことも多々ある。それすらも千鳥の漫才では味になっている。自分で自分に笑ってしまうのはご法度という流れも軽くあしらっているかのようさ。





私はこの仲良し感こそが漫才のみならず、ロケ・スタジオでのトークなど全ての根っこにあると思う。



ひと昔前までは、芸人は相方と仲が悪いほうがカッコいいという空気がなんとなくあった。



しかし、今の視聴者は芸人さんが仲良しのほうが喜ぶ傾向にあると思う。


千鳥だけではなく、ダウンタウンや和牛やサンドウィッチマンなどあのじゃれあい感を楽しむ時代になってきている。



千鳥の漫才を見ていると、そのじゃれあい感がふんだんに感じられる。そのじゃれあいからアドリブも生まれるのだろう。



ただ、あの大悟さんのつい笑ってしまうのも私たちに向けて「わざと」やっているのだとしら……とも私は思ってワクワクしている。




ここまで三回に渡って千鳥の漫才について書いてきたが、もちろん三回で語りきれるものではない。

また千鳥についてはたっぷり書いていきたい。



つまり何が言いたいかというと




千鳥さん、大好きです。



ついまじめに書いてしまったが、これからもゆっくりとお笑いについて話していこう。



それではまた次回。