お笑い基地

お笑いをテーマに、漫才やバラエティについてゆったり書いています。

M-1グランプリ2005 ブラマヨのキャラを帯びたしゃべくり

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 本日もひとつよしなに。

 

世の中がM-1グランプリ2018で盛り上がる中2005年について書くというこのストロングスタイル、嫌いじゃないよね。

 

M-1シリーズも今回で5回目となり、このブログですっかり人気コーナーとなった。

しっかりついてこいよ、この……気まぐれおちょぼ口

 

 

さて本題の2005年大会はというと、番組自体にも様々な変化が見られた。

「暫定ボックス」が設けられたり全体的に豪華な仕上がりなったりと、13年前ながらこのころには今のM-1がほぼ完成しているように感じた。

 

 

改めて見直してみると書きたいことだらけの2005年大会だが、今回は何と言ってもブラックマヨネーズだろう。ここに触れなきゃ先いけないよ。

 

寿司屋行って小肌食べないと帰れないのと一緒。

 

 

タイトルにある通り今回の主題は

「キャラを帯びた」しゃべくり漫才

 

以前の記事でも述べたように漫才には型がありそれがコンビの色となる。

ナイツやオードリーやハライチに代表されるように、それぞれのコンビがそれぞれの型・スタイルを持つ。

 

 

一方ブラマヨの型はというと、吉田さんが小杉さんに相談を持ち掛けあらゆることに心配突っかかるというもの

それに対して小杉さんが答えていくうちに、気づけば小杉さんがおかしなことを言ってしまっているのが構成に深みを出している。

 

個人的には今のかまいたちの漫才に影響を与えているのでは……と思ったり。

 

 

 

ブラマヨの強さは、この強力な型に加えて二人の「人としての面白さ」がそこにあるというものだと思う。

ハゲとブツブツという強すぎる武器を持ち、それが気持ちよくネタに昇華されている。

 

しゃべくりとして上手いのはもちろんのこと、プラス吉田さんの「心配性」というキャラが乗ればもう弱点はない。漫才として完成されている。

 

 

M-1では「上手い・面白いネタ」と思ってもらうことよりも、「面白い2人」と思ってもらうことが重要ということなのかもしれない。

 

 

翌年優勝を果たすチュートリアルも同様に、しゃべくり漫才に徳井さんの「異常関心」というキャラを乗せ彼らの代表作とも言えるBBQネタを披露していた。

チュートリアルについて今後書くかは神のみぞ知るってぇ奴だ。

 

 

帰って残りの炊き込みご飯を食べなきゃなので今回はこの辺でバイバイ。

 

 

P.S.

馬場園さんのボケキレッキレでした

 

 

 

キングオブコント2018を見て

皆様お久しぶり。いかがお過ごしだろうか。

私は読書の秋ということで本にかぶりついているところだ。

 

 

さて今日はキングオブコント2018を見た私の感想をつらつらと書き残しておこうと思う。

日が経って鮮度が落ちたとかいうYABOなことは言わないでおくれ。

 

何回にも渡って各コンビのネタを見ていくと間延びしてしまうので、ここでは大会全体についてと印象的だったものをかいつまんでいくっちょ。

 

ささ、いくで。ついておいで。

 

 

 

どうせ誰も見ていないから本音で話すと、今大会は個人的に物足りなかった。

 

私の数少ない知人も「全部ハイレベルでハナコめちゃくちゃ面白かったよね!」と絶賛していたし、それはそうなんだけど。

 

それはそうなんだけどっっ!!

 

 

めちゃ曖昧な表現だが、賞レース特有のヒリヒリ感やらワクワク感やら歴史が動いた感

がなくて。居ても立っても居られない感というか、もういいか。

 

去年は圧倒的なかまいたちの実力と、大会全体をフリに使うかのようなにゃんこスターの対比が面白くて上記の感覚を覚えた。

 

この問題はお笑いという文化全体を見て話すことになるヤーツかもしれない。

大げさに言うとね。ダッサく言うとね。誰も読んでないからいいのよ。

 

 

確かに程度の差はあれど、どのネタもよく仕上がっていたし腕も申し分ない。

しかし個人的にはお笑いという1つの文化が次の道を探しているように思える。

 

 

あらゆるネタの構造が現れては消え、一方ではその裏をかくネタが流行りそれがすぐに表になっていく。そんな文化全体の現状をまじまじと今大会に見たのだ。

 

そんな流れの中に去年のにゃんこスターという存在があった。

「構造的な改革」これが近いうちに起こるのかもしれない。

 

 

 

まぁそんなことは芸人さんが一番分かっていて四苦八苦しているだろうし、鼻くそをほじることしか能がない私がつべこべ言うことではないだろう。

 

 

それはそうなんだけどっっ!!もうええわい。

 

 

個人的にはわらふぢなるおの一本目、好き。

漫才チックなところはあるけれど、しつこいのが好きな私には響いた。

 

物凄くどうでもいいが、あのやり取りに近いネタをやりたいと考えていたので(あ~やられちまったかぁ……)と悔しがっていた。

 

 

店員さんの睨みがきつくてそろそろこのカフェも出なくきゃならないので今日はこの辺で筆を置こうと思う。

 

それじゃまた。

 

 

P.S.

聞いてもないのに自分のことばっか語るやつ肘カサカサになりゃいい

 

 

 

 

 

 

 

M-1グランプリ2004 南キャンらに見るツッコミの進化

 

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ツッコミの進化を見た2004年

M-1シリーズも今回で4回目になりやす。気合い入れてついてきてほしい。

 

2004年大会は過去3回と比べてもメンツがかなり豪華であり、おのずとレベルも高い。

そのなかでも私が注目した点が「ツッコミの進化」だ。

 

それは南海キャンディーズトータルテンボスアンタッチャブルらのツッコミを見てもらえば分かるように、新しいタイプのツッコミが次々と生まれているのだ。

 

 

南海キャンディーズについて言えば、長く洗練されたワードチョイスでツッコむことで「ツッコミボケ」という領域を開拓した。おかしなことを訂正して笑いを誘うことから、それプラスもうひとつ足して笑いを誘うことへの変化。まさに進化。

 

 

トータルテンボスはネタを通して言葉選びに味があり、中でもツッコミは関東の若者言葉を盛り込んだようなこれまた新感覚なもの。2004年ではまだ完成しきっていない様に思えるがのちの「ハンパねえ」が生まれつつある。

 

 

今大会を制覇したアンタッチャブルは言わずもがな上手かった。関東漫才師でも指折りのクオリティだと思うが、ここでもツッコミが冴えわたっていた。

関西漫才で多く見られたようなツッコミの「激しさ」を標準語で使いこなしつつも、柴田さんのツッコミにはどこか優しさがあるから心地よい……。

 

 

偶然にもここで挙げた三組のツッコミはどれも標準語であり、そこもまた一回大会から見てきて変化が感じられワクワクするってぇもんよ。

 

ここ最近ではツッコミ主体で笑いを取る漫才も珍しくないが、それもこの頃のツッコミの進化があったからのように思える。

 

 

こうしてお笑いという文化も脈々と受け継がれ進化してきたのだと思うとこれからが楽しみで仕方がない。それではこの初夏の黄昏時に沈みゆく夕日とともにさようなら。

 

また次回まで、震えて待て!

 

 

 

 

 

ゆりやんが嫌いという声に対して

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引用元:(https://www.instagram.com/yuriyan.retriever/?hl=ja)

梅雨時期のこの空同様にジメジメした報せを耳にした

 

それはなにかというと、ゆりやんレトリィバァ嫌いな芸人ランキング2018にて男女総合5位にランクインしたというニュースだ。

 

これは著者かなしい!著者かなしいなぁ・・・。

 

 

ゆりやんNSC主席卒業や賞レースでの実績はここではあえて語らない。それは周知の事実であり、言わずもがなってやつだからだ。

 

 

ゆりやんと並んでにゃんこスターも上位にランクインしていたが、これはすこしわけが違う。どこがどう違うのか克明に説明してくれと言う君はナンセンスだ。

寿司屋ではじめにウニを頼むくらいにはナンセンスだ。

 

 

ゆりやんへの批判の声はインターネット上・SNS上で散見される。

「ネタがつまらない」「見た目が無理」「バラエティですべってる」etc...

 

 

ここで結論を述べてしまうと私はゆりやんを応援している!!

 

確かにゆりやんのネタは好みが分かれると思う。しかしながら女芸人さんの中でセンスで魅せれる存在は貴重であり、重宝されるべきだろう。

 

これは個人的な意見だが、女芸人さんはこれまで「女芸人として」出る場面が多かったように思う。

それはもちろん彼女らを取り巻く環境がそうさせていた側面もある。

 

しかし近頃は「女芸人として」ではなく芸人として出ているなと感じることが増えてきた。ゆりやんもその一人であり、Aマッソなども挙げられる。

 

 

ゆりやんも見ていると平場で特にそれを感じる。2017年のリンカーン大運動会では名だたる先輩芸人に引けを取らずこれでもかと前に出て、それでいて毎回落としている。

あの企画であれほど女芸人が前に出れることは稀だ。あれには驚かされた

 

そうした肝っ玉がさんまさんなどにも気に入られる理由かもしれない。

 

 

ここ最近メディア露出が増え嫌いな人が出てくるのは当然ともいえるが、結果も出しているし何よりあの平場でのパワーはかけがえのないもの。

 

ゆりやん本人もSNSなどの視聴者の声を気にしてしまうことがあると言っていたが、そんなものは気にせず今まで通り頑張ってほしい。

 

著者は応援しているよ………!

 

 

 

 

M-1グランプリ2003 伝説の笑い飯


笑い飯「奈良県立歴史民族博物館」 [HD] #1 6

本日もひとつよしなに。
さてM-1シリーズも第三回目と脂がのってきた。


今回は2003年を振り返っていくのだが、2001年と2002年に比べて今大会はいきなりレベルが上がってきたように感じた


番組として箔がついてきたのと同時に、漫才全体の水準が高くなったのではないだろうか。


そうなると決勝戦は否が応でも熱い戦いとなった。
いやはや、面子も豪華だしネタも洗練されてるっす


そんな2003年大会でスポットを当てたいのが笑い飯だ。
ご存知のヘッズも多いだろうが少し説明をしておこう。


笑い飯M-1グランプリにおいて、第二回から第十回の9回連続決勝進出の最多記録をもつおばけコンビである


笑い飯M-1は切っても切れないものであり、話題はつきないのだが今日は2003年に絞ってお話しするでゴザンス。



彼らが披露した1本目のネタ奈良県立歴史民俗博物館は今も伝説とされている。


このネタが伝説とされる所以は、その斬新さとそこから生まれる破壊力が故だろう。



まず私たちが衝撃を受けたのは漫才界の革命ともされるWボケであろう。


ボケとツッコミを人で分担せずに交互にボケを繰り出していく。
そのシステムによってなにが生まれるか。


それは圧倒的なスピード感である。


競い合うようにボケを出し合うことにより掛け合いはどんどん加速していく。そしてそのボケのどれもが研ぎ澄まされていることによって「重み」も共存させることに成功している。



Wボケだけができる「そのボケおれのや!」や「ええ土」のかぶせ、随所で見られる伏線回収などの漫才のテクニックもネタに厚みを出している。



正に非の打ち所のないネタだ


この年笑い飯は残念ながらフットボールアワーに僅差で敗れ優勝を逃してしまった。



巷のお笑い好きの間では笑い飯はどうしてもこの年に優勝しておくべきだったと言われるが、私はその後もM-1決勝で七色のネタを次々世に産み出していく二人にビッグリスペクトを送りたい。


思いの外長くなってしまったが笑い飯の二人にはこれからも新しいネタを作っていってほしいし、バラエティでも活躍してほしい。



そんなことを願って筆を置かせてもらいたいと思う。


P.S.
電車の席で他人のスペースを犯すような座りかたするやつは絶対友達少ないよね、うん。

M-1グランプリ2002 フットボールアワーで決まり

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今日は蒸し暑いからもう言っちゃう、2002年のM-1グランプリフットボールアワーで決まり!もうこれは言っちゃう。暑いしなんか今日。

 

この大会を通して見てまず感じたのはフットボールアワーの漫才だけとても「今風」だなということ。「今風」というのは2018年に見られる漫才に近いということだ。

 

 

結局のところ2002年大会を制したのはますだおかだの二人だったが、

これはとてもM-1的な漫才だったからだと思う。

 

スピーディーに多くのボケを繰り出しながら熱量を上げていく。

 

 

ますだおかだが優勝したことが腑に落ちる一方で、個人的には今大会はフットボールアワーが圧倒的だったと言いたい。ここからはフットのネタを細かく見ていこう。

 

 

二人が得意とする言葉遊びを全体に散りばめながら、笑いの大小の波も作り後半の畳み掛けもぬかりない。そして二人の声質・少し緩いテンポが生み出す空気感。これに岩尾さんのキャラが加わる。

そしてなにより二人とも上手いっすね……。もう完璧だ………。

 

 

今ほどではないが後藤さんのツッコミのスタイルも確立されつつあり、その前兆を見ているようでそこもまたワクワクする。

 

 

ここ最近はテレビでフットの漫才を見ることはまれだが、ENGEIグランドスラムなどで二人の漫才を見た時には確かに2002の面影を見ることができる。

 

 

二人が今もバラエティ番組で活躍を続けているのも、そうしたぶれないスタイルがあったからなのかもしれない。

 

これからもシリーズものとしてM-1グランプリをテーマに書いていきたいと思う。

他にも気になるお笑いをガシガシ書いていくゾ!

 

これからもよろしくたのんます。

 

 

 

 

M-1グランプリ2001 おぎやはぎの意義


おぎやはぎの漫才(結婚詐欺師

 

世の中が梅雨に片足つっこんでいるような今日は、御覧のようにM-1グランプリ2001おぎやはぎに焦点を当てて話していこう。

 

M-1グランプリ2001は長いM-1の歴史の幕開けとなる第一回大会であると同時に、漫才の新たな歴史の幕開けでもあった。

そんな第一回大会を見ていて気になった漫才がおぎやはぎの漫才である。

 

 

この大会においておぎやはぎは良くも悪くも目立っていた。

いわゆる賛否両論てやつだ。

 

 

結果から言うとおぎやはぎはぶっちぎりの最下位、大阪の視聴者票においては100点満点中の9点で本人たちも「トラウマだ」とネタにしているくらいだ。

 

 

しかしここではそれに対する意見ではなく、M-1グランプリ第一回におぎやはぎが出たことには大いなる意義があったことを声を大にしてささやきたい。

 

 

漫才では「型」が重要であり、それがそのコンビの色となる。

その時おぎやはぎ「型」を持っており、その「型」は当時にして前衛的・挑戦的であったと思う。

 

 

得意のコントを基調にして、独特の抜け感のあるボケと訂正や説得のようなツッコミを二人が仲良く褒めあいながら漫才する。

 

2001年の漫才はほかのコンビの漫才を見ればわかるが、関西色が強くテンポの速いしゃべくり漫才でツッコミが強い。まさにおぎやはぎの漫才はその真逆。

反感を買うのは容易に想像できただろう。なんというクレイジージャーニー。

 

 

2001年大会でおぎやはぎが見せた雄姿は、まさしく漫才に新たな風を吹き込み関東芸人を立ち上がらせた。

 

 

おぎやはぎはその後バラエティーでも確固たる地位を確立していくが、2001年のネタから一切ブレていないのがまた凄い。

 

 

私は2001年のおぎやはぎのネタを見てそんな事を思ったということをここに記す。

 

 

それではまた次回もこの場所で